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後期・ガラス工芸家としてのラリック

パリ万博覧会で大成功をおさめたラリックは
42歳でガラス工場を借りるなど、徐々にガラス工芸家へと傾斜していきます。
そこにはラリックのスタイルを模倣した宝飾業界への怒りや
ごく一部の貴族階級のための宝飾作品への限界などから、
ガラス工芸により発展性と創造性を見い出していくラリックの姿がうかがわれます。

48歳でフランソワ・コティーと出会い、ガラス香水瓶の製作を手掛けることになったことは、
それ以降のラリックの生き方を決定づけた出来事でした。
当時社会は女性の社会進出が広がりをみせる中、
香水も一般市民に浸透され始めてきている時期でした。
ラリックはこの香水瓶の作品を創ることに新しい時代の新しい芸術の可能性を感じたのでしょう。
それは今までの芸術家の概念を超え、「アートと産業のコラボレーション」ともいうべき、
アートの大衆化を押し進める新しい可能性でもありました。

それ以降ラリックは精力的にガラス作品を製作していきます。その領域は香水瓶、花器、壷、鉢、食器、装身具、
アクセサリー、照明器具、インテリア、カーマスコット、建築素材など様々なジャンルに広がっています。
これらの作品をラリックは、金型を元に量産化させる一方で、
量産とは対極にある1点から最大6点しかできない技法による製作を同時平行でおこなっています。
作品の量産化については、ラリックにとって芸術性の低下を意味するものではありませんでした。
ひとつひとつの作品には造形美を主眼においた芸術家としての気概が感じられるとともに、
1点1点を繊細なチェックの中で、良質なものに仕上げた作品にもビジネスを超えた姿勢が感じられます。
また、ガラス素材の研究や技術革新を積み重ね、
量と質を調和させた作品づくりを追求していったことも見逃せない点です。

1925年パリで開催された現代装飾美術・工業美術国際博覧会で、
ラリックは高さ15メートルの噴水をはじめ数十点の作品を出品します。
これらは高い評価を得て「アール・デコ様式のガラス作家」としてのラリックの地位を決定づけました。
それ以降ラリックの晩年では、豪華客船の内装や教会の祭壇などを手掛け、
71歳の時には日本の朝香宮私邸(現・東京庭園美術館)の玄関扉やシャンデリアなどの製作をおこなっています。

ラリックの生涯を振り返ると、
宝石デザイナー、工芸デザイナー、装身デザイナー、インテリアデザイナーなどの他に、
職人、実業家、プロデューサーなど様々な顔が見受けられます。
その製作姿勢を五木寛之氏はアートとビジネスを両立させた江戸時代中期の画家、尾形光琳に似ていると言っていますが、
それは将に、その時代の人たちが何を求めているかということに対し彼の感受性が敏感に感じ取り、
それをとことん追求していかざるをえなかった「時代の寵児」ならではの運命であったように思われます。

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